レイ・ダリオ氏の富に対する考え方が面白い

だれでも自分の金融資産が増えるとうれしいものだと思います。私もそうですし、少しでも自分資産が増えればいいなと思いながら資産運用をしています。しかし、金融資産が単純に増えればいいというものではないようです。米国の著名投資家であるブリッジウォーター・アソシエイツのレイ・ダリオ氏が、富の定義について発言し、その発言について「The Financial Pointer®」に掲載されました。その内容は非常に興味深く、とても面白いものだったので共有したいと思います。

発言について

レイ・ダリオ氏は現在の資産高について、一概に喜ばしい状況ではないといっています。米国ではインフレが進行しており、様々な場面で危機が叫ばれていますが、株価は堅調ですし資産インフレがそれを上回っているため、そこまで危機感はないようです。しかし同氏はこの状況がいつまでも続くわけはなく、将来は資産価格の上昇がインフレに負けてしまうことを危惧しています。

富=金融資産ではない

レイ・ダリオ氏は金融資産を富とは考えていません。金融資産はインフレによって価値が下落してしまうため、富を測る尺度としては正しくないとしています。では何をもって富とするかというと「購買力」だというのです。つまり、「富=購買力」ということで、どれだけ物を買うことができるのがか富の象徴といっています。

そして現在、低金利・量的緩和政策により金余りの状況を生み出し、それが金融市場に多く入ってきたため、金融資産が異常に膨らんでしまいました。そのため「富<金融資産」という状態となってしまい、相対的に大きくなってしまった金融資産は価値が下がっていくといっています。

富を増やすには

「富<金融資産」という状況を「富=金融資産」にするには金融資産を下げる、もしくは富を増やすしかありません。このまま何もしなければ金融資産が下落するだけですが、富を増やすことができれば問題はなくなります。ダリオ氏は富はどれだけ生産できるかにかかっているといっています。そのための具体策として、投資やインフラへの支出をするべきと提言しています。

富を失うと

そして、富を失うことは個人だろうが国家だろうが、凋落をもたらすと述べています。そして現状の米国を心配し、より生産性を高めるべきだと述べています。

発言を受けて感じたこと

富を「購買力」としている点は非常に面白いと思いました。確かにどんなに金融資産があっても、それを何かに変えることができなければその価値はないに等しいです。お金でお腹は膨れませんし、お金だけで車のような高速移動はできません。現在は世界中で金融緩和が行われており、異常なほどの金余り状態で資産が増えたと喜んでいる人も多いでしょう。しかし、資産が増えてもそれで買えるものは急に増えたりしません。そうなれば当然資産の価値は下がります。今のところはインフレよりも資産の上昇が上回っているので、高い消費者物価の上昇にも何とか耐えられるのでしょう。しかし、そのうちインフレに耐えられなくなり、ようやく自分の購買力が低下していることに気づくのかもしれません。

まさに日本が30年間陥っている問題

そうならないためにも生産性の向上は重要といっていますが、まさに今の日本を表しているような感じがしました。日本はよく言われている話ですが、非常に生産性の低い国です。改善しなければならないといわれながらもなかなか状況は改善しません。失われた30年などといわれていますが、その損失に気づいている人はもしかしたら少ないのかもしれません。成長しないといっても何とか生活はできてしまいますし、世界を見渡せば日本よりもひどい国はたくさんあります。なので危機感は薄いのでしょう。しかし、ダリオ氏が言っているように、この状況が永遠に続くことはありません。よく30年ももった方だと思います。しかし、それもそろそろ限界でしょう。日本も格差がどんどん意識されるようになり、所得が低く、購買力が他国よりも随分低くなったと気づいてきた人も多いように感じます。このままでは本当に日本は先進国ではなく、東の果ての小国となってしまうでしょう。

まとめ

今回はレイ・ダリオ氏の発言をみてきました。非常に興味深い発言で、とても勉強になりました。目の前にある資産に惑わされずに、実際の自分の購買力、つまりは力がどの程度なのかきちんと認識する必要があると感じました。含み益が出たり、配当が手に入ると急に安心した気持ちになりますが、それは見かけの話で、世界がそれ以上にインフレになっていれば貧しくなっているわけです。当たり前といえばそうなんですが、それを購買力と表現したことはとても面白いと感じました。

生産性の話などはまさに日本の問題そのもので、本当になんとかしないとそう遠くない時期に大変なことになると思います。そのことに気づいている日本人はどのくらいいるのでしょう。最近は増えてきたとは思いますが、まだまだ多くはないような気もします。取り返しのつかなくなる前に代わることを切に願いつつ、自分自身のできることを着実にしていこうと思います。